About

    こんにちは、PPK Beauty Labo代表のにゃおこです。物心つくころから、年中体調不良の母親に連れまわされて、様々な「健康法」や「見えない世界」を体験してきました。

    香港留学や、タイでの工場勤務を経て、謎の修行団体に入ったり、猫グッズの代表をやったりと、日本でも様々なことを体験したり、やらかしたりしておりました。

    そんな私の半世紀分の体験と研究を、ゆるゆるおとどけいたします!

    にゃおこの詳しい自己紹介はこちら ↓

    2歳の時に小児喘息と肺炎を併発して、死にかけた。

    救急車で運ばれてそのまま半年入院。「この子は生きるために生命力を使い果たした。たぶん小学校の体育は全部見学になるくらいだと思います」と、医者に告げられたそう。

    そんな話を聞いた母は、民間治療ラバー。その後病院に通うのではなく、私にいろいろな治療法を試してくれた。主な治療は湿布。「糾励根(きゅうれいこん)」というガチな湿布と和辛子の湿布で、小児喘息を吹っ飛ばす。遠赤外線をあててくれたりもしてたかな!

    擦り傷切り傷が出来れば、庭に生えているつわぶきの葉っぱを焼いて患部につけ、やけどをすればアロエを貼っていた。そう、わたしの絆創膏は緑色が見え隠れして「直ちゃん、何それ?」と、よく友達に驚かれていた。

    お陰様で元気な小学校生活を送っていたが、中学に入って腰、尾てい骨を打って体調崩してしまう。一度は歩くことも難しくなっていた私は、母に連れられて温冷灸、鍼灸、整体、気功、カイロプラクティックなどなど…。バブルもあってお金もあまり余っていたので、本当にいろいろな治療を体験。

    中学時代に、整体協会に入会して、家族で活元運動をする日々。癒氣という整体協会の治療も受けたり、本部研修なんかも行ったりして、かなり真面目に活動。高校時代には、親友を引き込んで一緒に活元運動に励んだりしてた~。

    とはいえ高校に入っても体調不良の私は、母の友人の勧めで太極拳を習い始める。先生がかなりマニアックな人だったな~。大学受験の時は、生徒さんみんなに囲まれて「受験気功」を受けて、晴れて第一希望に受かったような、きもする( ´艸`)

    大学時代にはまった農業の勉強会があって、毎月小諸まで通っていたな。話が難しいんだけれども、水や波動で、人や食物、動物たちがどんどん元気になっていく様をみて「世の中いろんなものがあるもんだ!」と、びっくりしていたよ。

    大学卒業後は、縁あって新体道棒術にはまる。「信じられないほど辛い動きの果てに、何かいいことあるかもしれない」って、頑張って稽古していたな~、そういえば(遠い目……)。

    その後仕事でタイに3年半飛ばされてから、日本に戻る。人生にやる気がなくなり、ニート生活をしていたらお酒飲みすぎて体を壊す。そこで、母が入っていた「韓国系の健康体操」なるものに入会したら、そのままま一気に先生になって、スタジオオープンして、本部勤めまでしてしまった。この6年くらいの間に、健康にまつわる、ありとあらゆることを学んだ気がする。

    しかも、その団体のスピリチュアル要素たっぷりな自己啓発セミナーに感動してしまって、果てにはそのインストラクターにも、なってしまったりした。ほんと、いろいろやりましたんでわ。

    あまりにもお金を取り過ぎるところだったので、その団体を抜けることにして、そこからウォーキングのインストラクターに。修行し過ぎて、あまりにも中性的になってしまった私は、自分の容姿がおっさんを飛び越えて、おじさんになっていることに気づき愕然とする。 

    そんな中、「歩くことで美しくなる」というようなキャッチフレーズに飛びついてしまいました。そこで、インストラクターになって8年くらい指導していたかな?ウォーキング協会の指導法に???となって、やめてからは、「らせん流ウォーク&ラン」で学び、体の自然な動きに沿った歩き方を研究。

    その後も、「姿勢を研究せねば!」と、ストレッチートレーナーの資格をとったりしてた(実はすっかり忘れていたんだけれども……)。

    で、2025年に2つの衝撃的な出会いを果たします。1つはPHA=パーソナルヘルス協会という、腸内フローラ解析、栄養解析、遺伝子解析を扱う協会。そしてもう一つは、温熱のHOCA

    「健康系の仕事をしたいな!」ということから、パーソナルヘルス解析士の仕事をはじめたの。きっかけは、おならが毎日暴発していたから。「腸が本当におかしくなっているにちがいない」っていうことから。自分の腸内細菌フローラを調べたところ「お酒飲みすぎて、良い菌がすべてアルコール消毒され、悪い菌ははびこるお腹の中」になっていて、納得。

    「直子さんは、6割が炎症系の菌だから時間かかりますよ。半年後に観ても、少ししか改善しないかも」と言われて、一発奮起。食事を変えて、生活習慣も変えたら、半年後の数値が先生も「こんなの、見たことない」というレベルまで爆上がり。「食物繊維って、お洒落な人が食べるものだと思っていた」私が、腸活を猛勉強して、かなりのエキスパートに。

    と、同時にHOCAという温熱器との出会ったんです。ちょうどPHAの勉強を始めたところで、お金が全然なかったのですが、「私の体、冷えまくっている」ことを認識して、突発性難聴後の体調不良が少しでも良くなればと、購入。

    あんまりにも気持ちがいいから、朝に夜に、HOCAで温めまくっていたら、右肩上がりに元気に。食生活を変えたことも相まって、片耳聞こえない以外は、もしかしたら、人生で一番調子がいいかも、しれないです。

    ってなことで、人生七転び八起き。いろいろ失敗して、体験して、それらのあらゆることが私の血肉になっております。ので、今までの経験が、みなさんのお役に立つことも多いんじゃないかな、って、思っているんです。

    気が付いたら、スピリチュアル街道ぶっちぎっていた私(笑) 小さいときから、母親の知り合いに「霊能者」だとか「修験者」とか「神のお使い」風味な方が多くて、見えない世界の四方山話は、よく聞いていた。

    自分自身が見えるかと問われたら、「いいえ、まったく」なので、当事者ではなかった。けれども、「見えない世界」のことは当たり前にあることとして、育った。

    そこから、どっぷり沼ってしまったのは高校時代から。帰宅部の私は、「精神世界専門の本屋」という、風変りな本屋が高校の近くにあったものだから、そこに入り浸って、立ち読みしたり、大蔵大臣(母親)にプレゼンして、様々な本を買ってもらっていた。ネイティブアメリカンの本を、読み漁ったっけな~。

    ちょうど、シャーリーマクレーンの「アウト・オン・ア・リム」が流行り、その後「バシャール」が飛び出した時期でありました。親子でバシャールのセッションに行っちゃったりなんかして、適当に楽しんでいたんです。

    だってね「先祖の祟りだ」とか「土地の神様が怒っている」だとか、なんとも暗い情報ばかりだったわたしの「見えない世界が」突然、「ワクワクすることをしなさい」っていう、からっとしたカルフォルニアの風を想起させるようなメッセージに、あっという間に魅了されてしまったのは、仕方のないことでありましたのでした。

    そんな折、母が「私もペルーに行って、UFOを見てみたい」と訴えてくる。しかも「『バシャール』を出版しているVOICEが、“チャネラーと行く、ペルーマチュピチュツアー2週間”をやるんだって!」と、ちゃっかりツアー情報もゲットしてきて。

    かなりお高い金額だったと思うのですが、バブル絶頂期の加藤家は「面白いから行ってしまおう」というわけで、母娘で申し込んだのでした。わたくし高校3年の春のこと、そう17歳でした( ´艸`)

    なんだけど、ご縁がなかったのか、母親は祖母の介護で行くことができなくなり、代わりに母の瞑想友達のお姉さんと一緒に、総勢36名のマチュピチュツアーに参加したのでした。

    まぁ、本当にいろんなことが起きた、夢のような2週間で、今でもあれは何だったんだろうかと、思うほど。そして帰国してみたら、私のコアな友達が、ヒーラー、チャネラー、フリーター、なんなら新興宗教の教祖という濃いメンバーにフルチェンジして、私はもはや社会不適合なる人間になってしまったのでした。

    高校の職員室の黒板に「加藤ペルー旅行中」って書いてあったこと、今でも友達と「ウケルよね~」って話してる( ´艸`)

    大学に入ったくらいから「もう、スピリチュアルなことはやらない!」って、いったん封印したんだけれども、結局そういう生まれになっているのか、韓国系の修行団体みたいなところでみっちり6年くらい修行生活送ったこともあった。

    「死ぬまでに、自分の師匠を見つけたい」って、師匠探しをし続けて、「結局だれもいないから、もう師匠はいらないや!」って思っていたら、今の師匠に出会って、弟子入りしたり……。

    まぁ結論、こういうスピリチュアル系のお話、とっても、すんごく、本当に大好きなんです(笑)

    だいぶ若いときから、スピリチュアル業界が好きだったことから、いろいろな情報は知っているのね。ということで、「見えない世界の話」って、みんな気になるかと思うから、ここでも小出しにしてゆきたいと、思っているんです。

    楽しみにしていてください。