ABOUT

    PPK Beauty Laboとは?

    PPK-Beauty Laboは、「ピンピン元気に生きて、最後はコロリ」を “理想論” ではなく、日々の暮らしの中で叶えていくための研究所。「どんなことを日常に取り入れたら、元気に楽しく、美しく生きることができるか?」を、ゆるゆる研究しています。

    もともと健康オタクでかつ、「人生は、気合でなんとか乗り切れる」と思って生きていました。それがある日突然、50を目前に突発性難聴で倒れてから、「さあ、大変!」更年期の不調が一気に押し寄せてきました。ウォーキングのインストラクターだったのに、まっすぐ歩くこともできなくなり、耳鳴りと頭痛に悩まされ眠れなくなり、不眠状態でいつも頭がぼーっとしている。

    「今が人生の中で一番若いのに、こんな体調だったら将来はどうなってしまうんだろう?」。自分の不調を受け入れることができず、未来に不安ばかりを抱いていました。

    藁をもすがる思いで、様々な健康法やメソッドを体験していく中、2025年に入ってから、腸活の勉強を始めたことと、HOCAという温熱メソッドに出会ったことで、体調が一気に右肩上がりに。

    「温めたら優勝!」を軸に、人生をより楽しく、深みのあるものにする古今東西様々な健康法&エッセンスを研究してます!

    病気になってからの対処ではなく、その手前の「未病」に気づいて、整える。心と体の土台をつくり、毎日をもっと元気に・美しく・美味しく・充実感あるものにする――そのための知恵と実験と実践を、分かち合う場所です。

    そして、神ネタから下ネタまで、得意な引き出しが沢山ありますので、「興味あるけど、恥ずかしくて聞けない」みたいな話も、ちょこちょこ出していければなと、思っています!

    にゃおこについて

    愛情たっぷり、だけどかなり風変りな考古学者×ファッションデザイナーの両親の元に生まれました。

    物心つくころから、「年中体調不良」の母親に連れまわされて、様々な「健康法」や「見えない世界」を体験してきました。

    香港留学や、タイでの工場勤務を経て、謎の修行団体に入ったり、猫グッズの会社代表をやったりと、社会人になってからも様々なことを体験したり、やらかしたりしておりました。

    見えない世界は小さいころから親和性があり、男女のウフフ♡な話は、タイ駐在時代に鍛えられました(笑) 

    そんな私の半世紀分の体験と研究を、ゆるゆるお届けいたします!

    自己紹介として以下3つの記事を書いてみました。よかったら、お読みください。

     「にゃおこさん、何回人生やっていんるですか?」と、よく言われる(笑) 多分、想像を超えるほど、まとまりがない職歴だったからだと思う。

     人生に引き出しが多かったのも、もしかしたら「いろんな仕事に、レッツトライ!」だったから、かもしれない。そんな私が、どんな風に歩んできたか、振り返ってみま~す。

     田舎の大学を卒業して、まずは半年ぷー太郎。そして秋から香港中文大学に語学留学=ご遊学という、遊びまくる日々。ちょうど香港返還の時で、それはそれは、エキサイティングな時間でした♪

     遊びすぎて、考えなく日々を過ごしていたら、あっという間に1年が経ち、何もマスターしないまま帰国することに。すると、母親に促されて、幼児教育の先生になるべく熊本に住み込みで働く羽目に。半年くらいして、家庭の事情(まさかの宇宙人がらみ)で東京に戻ることになり、またもやぷー太郎に。

     つなぎのバイトとして、アメリカンクラブのメインダイニングで働いていたら、あまりにも英語漬けの日々になり、なんとTOEIC930点をたたき出してしまうという、嬉しい誤算もあったり→今はほとんどしゃべれないぞ!

     そうこうしているうちに「洋服屋三代目として、家業を継ぐのか?」みたいなことになり、「ファッションには、一ミリも興味がない」ことはウスウスわかっていたけど、「ちゃんと確認しないといけないね」ってなことになり、母の友人のアパレルブランドに就職

     「なんでこんな同じような服を、せっせと作って売っているの? ほぼ同じデザインではないか! まじで資源の無駄だし、ごみを作っているようなものだ」なーんて思っていた私( ´艸`)

     「やっぱりファッション業界無理! 辞めてやる」と思っていたところ、「あなたは来月からタイです」と、タイ工場に飛ばされる。結局3年半駐在させてもらって、アメージングタイランドを、本当に味わい尽くしました。あのころはまだ、インターネットがあまり発達していなかったから、いろいろ大変だったんだよね~。 ま、今となっては、全てネタなんですけれどもね!

     縫製工場の品質管理プロジェクトを1年任されて、工場の品質を爆上げさせましたよ、ええ。で、帰国命令が出たので、そのまま退社。「もう、遊んでやる」ってまたもやぷー太郎、お酒に飲まれる日々を過ごしていました。

     で、お酒飲みすぎて体調崩していたところ、母親が始めた韓国系の体操教室(もはや修行団体)が面白くて、通いだしたらそのまま先生になり、スタジオオープンさせて、その後本部勤務という、またもや波乱万丈な日々を過ごしました。この間、なんと6年!

     教祖というか、創始者に可愛がられて「普通にやめさせてもらえない」と思った私は、夜逃げを企てて、見事完遂。もはや引田天功のイリュージョンか?っていう感じで、ドロンしました(笑)

     東京に戻ってきて、以前のつてで編集プロダクションで拾ってもらう。「にゃおちゃんは、社会人経験ほぼゼロだからね」と、社長にだいぶ鍛えていただきました。

     修行生活長くて、おっさんみたいになり下がっていた私は「これではいかん!」と、一発奮起してウォーキングレッスンに通い始める。で、先生が素敵すぎて「あんな風になりたい!」って心底思って、そのままインストラクターに。でも、出来が悪すぎて、業界初の留年をして2年でようやく卒業。

     だったら、体を使うところで働こうと、ホテルのスパのレセプションで働き始める。そのころに、「猫の爪とぎソファーの仕事手伝って」と言われ、ホテルに近いところだったので、ホテルと猫の仕事の掛け持ちに。

     そのうち、猫の仕事がヤバすぎで(人がいない、仕事が回らない)猫の仕事にシフト。なんだけど、結局その会社は倒産することになり、改めて「猫の爪とぎソファー」会社の代表に就任。

     猫というか、動物には全く興味がない、どころか好きでなかったのね。でも猫グッズの会社代表になってしまったから、「猫くらい、飼っておかないといけないよね」という不純な動機で、猫の兄妹を譲ってもらう。そして、そこから私の猫愛が爆誕したのであります。人生って、何が起こるかわからないね!

     猫の仕事、工場が館山だったので、平日は館山で、土日は東京で過ごす日々。なんだけど、疲れ果ててしまって、ビジネスパートナーとも折り合いがつかなくなり、代表を辞任。またもやぷー太郎に(笑)

     ぷらぷら近所を散歩していたら、地元の友達から「にゃおチャン、暇そうだね。行きつけのレストラン、シェフ1人で30席ぐらいを回しているから、手伝ってあげてよ」ってなことで、地元のイタリアンでバイト。

     シェフと二人で連日の満席をまわして、本当に目が回るかと思うくらい忙しかった。んだけど、3か月くらいしたら、イタリア人の女の子2人と、正社員の若い男の子2名が入って、「にゃおこさん、もういいですよ」と、お役御免に。

     そうしたらやっぱり「今何しているの? 仕事手伝ってください」というお声がかかり、なんと国政選挙の選対リーダーに就任。「万が一当選したら、そのまま第一秘書お願いします」と、言われていたのよね。そして比例最下位だったけど、見事当選を果たしたので、そのまま参議院の第一秘書に(笑)

     もはや、ネタでしかない話だけど、3か月で首になりました。議員と意見があわず、「だったら辞めてやる!」っていうことで、選挙会計まですべて終えて、去りました。短かったけど、世の中の裏を垣間見る時期でもあって、そんで、人に言えないことも沢山あったけど、これも、今となってはネタなんですわ~(笑)

     またもやぷー太郎になり、暇をしていたら、なんと地元イタリアンの2号店(駅前の立ち飲みバル)で働いていた社員が「退職代行」を使って、急にやめてしまったとのことで「にゃおこさん、暇そうだからお願いします」と、またもや代打。

     立ち飲みバルの雇われママということで、夕方5時~夜中2時まで、ワイワイ騒ぐ日々。Youtubeがんがんかけて、ハードロックナイトとか、オペラナイトとか、勝手に仕掛けていろいろと遊んでました。まぁ、楽しかったけど体力的に本当にきつかったわ。1日にワイン1~2本飲んでいましたから(笑)

     そんなこんなで、コロナ禍に突入。7坪のバーなんて、もちろん営業できないから、レストランのテイクアウトの仕込み部隊として、毎日包丁握って、トマト切ったり、セロリ切ったり、玉ねぎ切ったりしてた。

     そうこうしていたら、昔いた編集プロダクションから、「来てくれたら、職場が明るくなるから週1回でもいいから、来て欲しい」と言われて、お手伝いするように。イタリアンでの仕事があまりなくなったから、そのまま編集プロダクションでの仕事に移行。

     そんな時、常連のお客様に「にゃおこちゃん、インターネット出来る人はいないかしら?」という謎の相談を受ける。よくよく聞いたら、ネットショップをしたいそうで、「簡単なことならできますよ」ってなことで、そのままちょくちょくお手伝いに。

     そうこうしているうちに、結局、そのお客様の会社でお手伝いさせてもらうことになりました(イマここ)。「もうね、若い子とはお仕事できないの」と宣う社長は、今年で御年85歳。ご夫妻と私だけの、小さな事務所で昼間はせっせと丁稚奉公させていただいております( ´艸`)

     ワラーチは、ウォーキングインストラクターしていた頃から履き始めて、ワークショップを開催するようになりました。腸内解析/遺伝子解析は2025年から、お仕事スタート。そしてその年にHOCAも始まったのでした~。

     という2026年の私は、昼間は地元で、ご高齢の社長夫妻と一緒にお仕事をして、お休みの時間でHOCAホームケア講座や施術腸内解析などを、しているので、あります。

     うーん、これでも途中端折ったけれど、長かった! お付き合いくださって、ありがとうございました♪

    2歳の時に小児喘息と肺炎を併発して、死にかけた。

     救急車で運ばれてそのまま半年入院。「この子は生きるために生命力を使い果たした。たぶん虚弱児だから、小学校の体育は全部見学になるくらいだと思います」と、医者に告げられたそう。

     そんな話を聞いた母は、民間治療ラバー。その後病院に通うのではなく、私にいろいろな治療法を試してくれた。主な治療は湿布。「糾励根(きゅうれいこん)」というガチな湿布と和辛子の湿布で、小児喘息を吹っ飛ばす。遠赤外線をあててくれたり、ミキプルーン飲んだりも、してたかな!

     擦り傷切り傷が出来れば、庭に生えているつわぶきの葉っぱを焼いて患部につけ、やけどをすればアロエを貼っていた。そう、わたしの絆創膏は緑色が見え隠れして「直ちゃん、何それ?」と、よく友達に驚かれていた。

     お医者さんの予測に反して、お陰様で元気な小学校生活を送っていた私。ですが、中学に入って腰、尾てい骨を打って体調崩してしまう。一度は歩くことも難しくなっていた私は、母に連れられて温冷灸、鍼灸、整体、気功、カイロプラクティックなどなど…。バブルもあってお金もあまり余っていたので、本当にいろいろな治療を体験。

     中学時代に、整体協会に入会して、家族で活元運動をする日々。癒氣という整体協会の治療も受けたり、本部研修なんかも行ったりして、かなり真面目に活動。高校時代には、親友を引き込んで一緒に活元運動に励んだりしてた~。

     とはいえ高校に入ってもやる気も元気もなく体調不良の私は、母の友人の勧めで太極拳を習い始める。先生がかなりマニアックな人だったな~。大学受験の時は、生徒さんみんなに囲まれて「受験気功」を受けて、晴れて第一希望に受かったような、気もする( ´艸`)

     大学時代にはまった農業の勉強会があって、毎月小諸まで通っていたな。話が難しいんだけれども、水や波動で、人や食物、動物たちがどんどん元気になっていく様をみて「世の中いろんなものがあるもんだ!」と、びっくりしていたよ。

     大学卒業後は、縁あって新体道棒術にはまる。「信じられないほど辛い動きの果てに、何かいいことあるかもしれない」って、頑張って稽古していたな~、そういえば(遠い目……)。

     その後仕事でタイに3年半飛ばされてから、日本に戻る。人生にやる気がなくなり、ニート生活をしていたらお酒飲みすぎて体を壊す。

     そこで、母が入っていた「韓国系の健康体操」なるものに入会したら、そのままま一気に先生になって、スタジオオープンして、本部勤めまでしてしまった。この6年くらいの間に、健康にまつわる、ありとあらゆることを学んだ気がする。

     しかも、その団体のスピリチュアル要素たっぷりな自己啓発セミナーに感動してしまって、果てにはそのインストラクターにも、なってしまったりした。ほんと、いろいろやりましたんでわ。

     あまりにもお金を取り過ぎるところだったので、その団体を抜けることにして、そこからウォーキングのインストラクターに。修行し過ぎて、あまりにも中性的になってしまった私は、自分の容姿がおっさんを飛び越えて、おじさんになっていることに気づき愕然とする。 

     そんな中、「歩くことで美しくなる」というようなキャッチフレーズに飛びついてしまいました。そこで、インストラクターになって8年くらい指導していたかな?ウォーキング協会の指導法に???となって、やめてからは、「らせん流ウォーク&ラン」で学び、体の自然な動きに沿った歩き方を研究。

     その後も、「姿勢を研究せねば!」と、ストレッチートレーナーの資格をとったりしてた(実はすっかり忘れていたんだけれども……)。

     で、2025年に2つの衝撃的な出会いを果たします。1つはPHA=パーソナルヘルス協会という、腸内フローラ解析、栄養解析、遺伝子解析を扱う協会。そしてもう一つは、温熱のHOCA

     「健康系の仕事をしたいな!」ということから、パーソナルヘルス解析士の仕事をはじめたの。きっかけは、おならが毎日暴発していたから。「腸が本当におかしくなっているにちがいない」っていうことから。自分の腸内細菌フローラを調べたところ「お酒飲みすぎて、良い菌がすべてアルコール消毒され、悪い菌ははびこるお腹の中」になっていて、納得。

     「にゃおこさんは、6割が炎症系の菌だから時間かかりますよ。半年後に観ても、少ししか改善しないかも」と言われて、一発奮起。食事を変えて、生活習慣も変えたら、半年後の数値が先生も「こんなの、見たことない」というレベルまで爆上がり。「食物繊維って、お洒落な人が食べるものだと思っていた」私が、腸活を猛勉強して、かなりのエキスパートに。

     と、同時にHOCAという温熱器との出会ったんです。ちょうどPHAの勉強を始めたところで、お金が全然なかったのですが、「私の体、冷えまくっている」ことを認識して、突発性難聴後の体調不良が少しでも良くなればと、購入。
    あんまりにも気持ちがいいから、朝に夜に、HOCAで温めまくっていたら、右肩上がりに元気に。食生活を変えたことも相まって、片耳聞こえない以外は、もしかしたら、人生で一番調子がいいかも、しれないです。

     ってなことで、人生七転び八起き。いろいろ失敗して、体験して、それらのあらゆることが私の血肉になっております。ので、今までの経験が、みなさんのお役に立つことも多いんじゃないかな、って、思っているんです。

     

     

     

     

     気が付いたら、スピリチュアル街道ぶっちぎっていた私(笑) 小さいときから、母親の知り合いに「霊能者」だとか「修験者」とか「神のお使い」風味な方が多くて、見えない世界の四方山話は、よく聞いていた。

     自分自身が見えるかと問われたら、「いいえ、まったく」なので、当事者ではなかった。けれども、「見えない世界」のことは当たり前にあることとして、育った。

     そこから、どっぷり沼ってしまったのは高校時代から。帰宅部の私は、「精神世界専門の本屋」という、風変りな本屋が高校の近くにあったものだから、そこに入り浸って、立ち読みしたり、大蔵大臣(母親)にプレゼンして、様々な本を買ってもらっていた。最初の頃は、ネイティブアメリカンの本を、読み漁ったりしたっけな~。

     ちょうど、シャーリーマクレーンの「アウト・オン・ア・リム」が流行り、その後「バシャール」が飛び出した時期でもありました。高校1年の後半から、にゃおこ家にはチャネリングブームが到来していて、親子でバシャールのセッションに行っちゃったりなんかして、適当に楽しんでいたんです。

     だってね「先祖の祟りだ」とか「土地の神様が怒っている」だとか、なんとも暗い情報ばかりだったわたしの「見えない世界が」突然、「ワクワクすることをしなさい」っていう、からっとしたカルフォルニアの風を想起させるようなメッセージに、180度シフトチェンジ。陽気な西海岸の空気に、あっという間に魅了されてしまったのは、仕方のないことでありましたのでした。

     そんな折、母が「私もペルーに行って、UFOを見てみたい」と訴えてくる。しかも「『バシャール』を出版しているVOICEが、“チャネラーと行く、ペルーマチュピチュツアー2週間”をやるんだって!」と、ちゃっかりツアー情報もゲットしてきて。

     かなりお高い金額だったと思うのですが、バブル絶頂期のにゃおこ家は「面白いから行ってしまおう」という余裕がありまくる。そんなわけで、母娘でチャネリングツアーに申し込む。そう、わたくし受験生、高校3年の17歳の春のことでした( ´艸`)

     なんだけど、ご縁がなかったのか、母親は祖母の介護で行くことができなくなり、代わりに母の瞑想友達のお姉さんと一緒に、総勢36名のマチュピチュツアーに参加したのでした。

     まぁ、本当にいろんなことが起きた夢のような2週間で、今でもあれは何だったんだろうかと、思うほど。そして帰国してみたら、私のコアな友達が、ヒーラー、チャネラー、フリーター、なんなら新興宗教の教祖という濃いメンバーにフルチェンジして、日本に舞い戻った私はもはや、社会不適合なる人間になってしまったのでした。

     高校の職員室の黒板に「加藤ペルー旅行中」って書いてあったこと、今でも友達と「ウケルよね~」って話してる( ´艸`)

     大学に入ってからはドルフィンスイムに魅了され、ハワイやらバハマやらへ。でも、途中でいろいろいたたまれなくなって、「もう、スピリチュアルなことはやらない!」って、いったん封印。だけれども、自己啓発セミナーにはまってしまっちいゃいました。

     自分には、「死ぬまでに、自分の師匠を見つけたい」という欲があって、「スゴイ人がいる」と聞けば積極的に会いに行って、師匠探しをし続けていたんだよね。

     その途中で、何のご縁か韓国系の修行団体みたいなところで、みっちり6年くらい修行生活送ったりもしてしまったりして。

     そんなこんなで、紆余曲折して最後「結局、師匠だと思える人は誰もいなかったから、もう師匠はいらないや!」って思っていたら、今の師匠に出会って、弟子入りしておりますナウ……。

     まぁ結論、こういうスピリチュアル系のお話、とっても、すんごく、本当に大好物なんですわ(笑)

     だいぶ若いときから、スピリチュアル業界が好きだったことから、いろいろな情報は知っているのね。ということで、「見えない世界の話」って、みんな気になるかと思うから、ここでも小出しにしてゆきたいと、思っているんです。

     楽しみにしていてください。